和久傳のささのか菓子
和久傳のささのか菓子
京都 料亭「和久傳」の最後のお菓子としてお出ししておりました「れんこん菓子 西湖」。蓮根のでんぷんである蓮粉を使い、和三盆糖と和三盆糖蜜で練りあげ、二枚の生笹で包んだ生菓子ですが、当初蓮粉は、「椀だね」として料亭で使われており、蒸し器で温め、塩と醤油で少し味付けしたものを土台に、海老や椎茸、柚子を置き、餡をかけたり、お出汁をはった椀物としてお出ししていました。
京都 料亭「和久傳」の最後のお菓子としてお出ししておりました「れんこん菓子 西湖」。蓮根のでんぷんである蓮粉を使い、和三盆糖と和三盆糖蜜で練りあげ、二枚の生笹で包んだ生菓子ですが、当初蓮粉は、「椀だね」として料亭で使われており、蒸し器で温め、塩と醤油で少し味付けしたものを土台に、海老や椎茸、柚子を置き、餡をかけたり、お出汁をはった椀物としてお出ししていました。
れんこん菓子 西湖
食感は少し違うけれども蕨餅に似ていたことから、夏場のお菓子として使えるのではないかと思い、
和三盆を入れ練りあげ、お料理の最後のお菓子としてお出していたものが、今日の「西湖」の始まりです。
笹で巻くかたちもこの頃に考えられ、最初は粽のように笹紐をくくってみたのですが中身が強ばってしまいます。
独特の食感を活かすために、若水菜など野菜をくくる今の結び方になりました。
これには微妙な手加減が必要なので、今もずっと手で巻いています。
れんこん菓子 西湖 食感は少し違うけれども蕨餅に似ていたことから、夏場のお菓子として使えるのではないかと思い、
和三盆を入れ練りあげ、お料理の最後のお菓子としてお出していたものが、今日の「西湖」の始まりです。
笹で巻くかたちもこの頃に考えられ、最初は粽のように笹紐をくくってみたのですが中身が強ばってしまいます。
独特の食感を活かすために、若水菜など野菜をくくる今の結び方になりました。
これには微妙な手加減が必要なので、今もずっと手で巻いています。
れんこん菓子 西湖
料亭から、お弁当やお鍋、お菓子などをはじめとするおもたせのお店「紫野和久傳」が始まりました。料亭でお出ししていた「西湖」をお弁当に入れていたところ、評判を呼んでいつの間にか「西湖」が一人歩きを始めます。もとは料亭でお出ししていた生菓子なので、時間が経つと硬くなったり、色が濁ったり、そうなるとおもたせとして持ち帰るには難しく、料亭のお菓子をご家庭でお召し上がりいただけるよう、調合や材料を少し変えて、時間が経っても変化しないように工夫し、おもたせとして販売ができるようになりました。
れんこん菓子 西湖 食感は少し違うけれども蕨餅に似ていたことから、夏場のお菓子として使えるのではないかと思い、
和三盆を入れ練りあげ、お料理の最後のお菓子としてお出していたものが、今日の「西湖」の始まりです。
笹で巻くかたちもこの頃に考えられ、最初は粽のように笹紐をくくってみたのですが中身が強ばってしまいます。
独特の食感を活かすために、若水菜など野菜をくくる今の結び方になりました。
これには微妙な手加減が必要なので、今もずっと手で巻いています。
れんこん菓子 西湖
「西湖」は中国・杭州の景勝地で、蓮の花が浄土のごとく咲き誇る美しい湖が、名前の由来です。蓮は泥にまみれず清らかに咲くことから、花の君子として尊ばれ、愛されて来ました。包装紙や紙箱には、数ある花の中で蓮を最も愛した中国・北宋の儒学者・周敦頤の「愛蓮説」が記されています。
れんこん菓子 西湖 「西湖」は中国・杭州の景勝地で、蓮の花が浄土のごとく咲き誇る美しい湖が、名前の由来です。蓮は泥にまみれず清らかに咲くことから、花の君子として尊ばれ、愛されて来ました。包装紙や紙箱には、数ある花の中で蓮を最も愛した中国・北宋の儒学者・周敦頤の「愛蓮説」が記されています。